研究紹介

<受験情報ページCLIP掲載>対談04「ポストコロナ時代の観光学」

2021.2.22

西川亮(観光学科)

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高岡文章(交流文化学科)

 

対談「ポストコロナ時代の観光学」04

 

 

■ 観光バブルとオーバーツーリズム

 

高岡 いま西川先生が触れられたオンライン観光について、バーチャルな体験は身体的な旅を終わらせてしまうのかという観点から、もう少し話を深めてみたいと思います。私の暫定的な見解としては、とても玉虫色的ないい方ですが、オンラインツアーは身体的な旅を抑制もするし促進もする、というものです。たとえば、書評を読んでその本を読みたい思うときもあれば、書評で内容がだいたい分かったから本は買わなくてもいいやと思うときがあるでしょう。つまり、書評は読書体験を促進もするし抑制もする。交流文化学科に所属している石橋正孝先生はジュール・ヴェルヌ研究で知られていますが、石橋先生のヴェルヌ論を読むのと読まないのとでは、ヴェルヌを読む体験が異なります。それは批評の力ということでしょう。
話を観光に戻すと、オンラインの体験があり、それとは別の身体的な体験があるというのではないと思うんですね。オンラインの移動体験は私たちの身体的な体験にハイブリッドにかかわってきます。互いに入り混じっている。分かりやすい例でいうと、インスタグラムに投稿するために原宿にパンケーキを食べに行くという体験は、身体的に移動しています。しかし、パンケーキの味そのものに関心があるというよりは、SNSに投稿してシェアすることに熱心というところがある。つまり、リアルな体験とイメージの体験は分かちがたく結びついている。見方によっては、オンラインによって身体的な移動が活性化されているともいえます。
私はポストコロナの時代において身体的な旅が減ることはないし、ますます促進されるのではないかとすら思っています。地域や場所の楽しみ方がさらに多様化し、興味深いこともたくさん見えてきました。ひとつの仮説ですが、観光バブル時代はさらに続くかもしれない。世界の航空需要が戻るのは、2022年か23年といわれていますが、再び京都でオーバーツーリズムは起こるのではないでしょうか。もしそうなったら、どうすればよいのでしょうか。

 

西川 コロナを経験したことで、私の観光に対する価値観や研究のスタイルは大きく変わりました。これまで私は観光客を受け入れる地域の立場から観光をみてきたし、地域にとってあるべき観光は何かという立場で、観光行動がときに地域に害を与えるものとして批判的にもみてきました。でも、観光行動が抑制されたいま、新聞報道にもあったように、私たちは江ノ島にドライブに行ったりすることを抑えられない。移動する欲望がある。行きたい、行きたくないというより、人間としての「性」ではないか。その意味で、人間にとっての観光の持つ大きな意味に気づかされています。
実際に移動しなければ得られない観光体験はなくならないと思う一方、行動が多様化しているなかで、もともと観光とはこういう行動だという従来の認識から、もっと別の楽しみ方がみえてくれば状況は変わってくるのではないでしょうか。これまで見向きもされなかった地域や資源でも、ある「語り」や情報を加えることで、そこに価値を置く新しい楽しみ方が浸透していくことも考えられます。私の最近の関心は、観光需要と地域の観光のあり方をつなぐ計画論ができないか、つまり、需要を満たしつついかに地域を計画していくか、ということにあります。

 

高岡 なるほどと思う側面もあるけれど、やはり人はどっと来るかもしれません。

 

西川 確かに、新型コロナ流行前のオーバーツーリズム問題に対して、地域の受け入れ容量、つまりキャパシティをコントロールする方法論を持ちえなかったし、そのような法制もありませんでした。でも、新型コロナ流行下で、行政が移動を禁じればある程度の移動を止めることが可能だということも分かってきました。

 

高岡 たとえば、長野県の上高地やスイスのツェルマットのようなリゾート地では自動車によるアクセスを規制しています。では、都市に人が来ないようにするにはどうすればよいのでしょうか。京都に人が来ないようにするなどというのは、果たして可能なのでしょうか。

 

西川 観光需要を観光供給側がマネジメントするということですね。京都として、こういうお客さんに来てほしいと限定していく方向性はあるかもしれません。ある一定の質を持った宿泊施設だけに新規開発を許可するといったやり方は、京都市が「京都市上質宿泊施設誘致制度」で実際に取り組んでいた政策です。ただし、日帰り客の移動を制限することはできません。

 

高岡 湯布院も日帰り客が多く立ち寄るのですごく混雑しているし、それによって迷惑している人もいるでしょう。しかしコントロールは難しいと思います。他方、オーバーツーリズムによって京都は大混乱といいながら、コロナ禍によって中国人観光客が来なくなると商売あがったりだという声もあります。観光に依存していた人たちもたくさんいたわけです。地域の計画として、観光政策として、どうコントロールしていく必要があるのでしょうか。

 

西川 まず、地域住民が観光に対してどういう意識を持っているのか、正しく把握する必要があると思います。この夏、昨年までオーバーツーリズムが問題とされていた京都や鎌倉などの住民を対象にインターネット調査を行いました。昨年までは観光客が多すぎて問題となっていた地域ですが、新型コロナ流行と緊急事態宣言を経て観光客が突然来なくなったという経験をし、住民はこの先の観光をどう捉えているのかを知りたかったのです。
調査によると、観光客がいなくなって観光の大事さをあらためて感じた人もいれば、観光客が来なくなった結果落ち着いた生活ができたので、来ないほうがよいと思う人もいました。こうした意識の違いが何に由来するかというと、新型コロナ流行前、つまりオーバーツーリズムの時期に受けていた観光による正負の影響に左右されることが分かってきました。
観光にかかわりのある住民だけでなく、観光との接点がない住民においても、観光振興に肯定的な立場は多くみられました。新型コロナ収束後における観光振興の必要性については、観光事業者もそれ以外も7割超が認識していましたが、新型コロナ収束後にどの程度の観光客数が望ましいかについてたずねてみると、一般住民の場合、オーバーツーリズムが問題だった去年よりも少なくてよいと答える比率が多かったほか、緊急事態宣言下のようにほとんど観光客がいない状態がよいとする回答も1割程度はありました。
一方で、観光に従事している人は去年以上の観光客数を望む比率が少なくありませんでした。観光事業者とそれ以外では、求める観光客像にも違いがあり、前者は消費額の多い観光客、後者は地域の歴史や文化を味わうような人に来てほしいというのです。これらの結果から、観光そのものを否定する傾向にはないものの、立場によって観光振興に求める役割は異なることが分かります。そのため、ポストコロナ時代の観光を考える上では、各地域で関係主体による丁寧な合意形成が求められると考えています。新型コロナの流行を経たいま、観光に対する地域住民の意識の変容は、これからの地域にとっての観光のあり方を考える上で非常に重要です。今後も継続的に調査をしていきたいと考えています。

 

高岡 メディアの情報によると、東京ではオリンピック開催に対してネガティヴな認識を持つ人が多いとか、京都の人はオーバーツーリズムで迷惑をしていると伝えられています。しかし、西川先生がおっしゃるように、多くの人は冷静にみているのではないでしょうか。彼らは当然、さまざまなバランスのなかで生きているわけです。しかも、そういう住民の思惑とはまったく別の次元で、観光客は来たり来なかったりするのですよね。同じような問題はこれからも続いていくでしょう。それが一時停止されているというこんにちの状況は、本当に興味深い時代といえる。いまは観光を冷凍庫に入れているような、実験的な状態なのかもしれません。

 

 

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※ この対談は2020年11月11日に立教大学新座キャンパスにてオンラインで実施されました。

※ この対談は2021年4月に発行される『RT』第1号に掲載予定のものです。発行時には文章表現などが変更になっている場合があります。

 

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