研究紹介

<受験情報ページCLIP掲載>対談05「ポストコロナ時代の観光学」

2021.2.22

西川亮(観光学科)

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高岡文章(交流文化学科)

 

対談「ポストコロナ時代の観光学」05

 

 

■ポストコロナ時代に観光学を学ぶ意義

 

―― そろそろまとめに入りましょう。この時代において、観光学を学ぶ意義についておふたりはどのようにお考えでしょうか。

 

高岡 イギリスの社会学者のジョン・アーリがこんなことをいっています。「ツーリストであるということは、近代を身にまとうという特質の一環である」。19世紀においては都市が社会を代表していたわけです。ゲオルグ・ジンメルやヴァルター・ベンヤミンにとって、近代的であることと都市的であることはつながっていました。現代社会あるいは後期近代社会といってもよいのですが、こんにちの社会においては、ツーリストであることが近代人の最も先鋭的な特徴であるとアーリはいっています。
 交流文化学科に所属しているハサン・イードゥル先生がフィールドにしている大分県日田市大山町を例に挙げてみましょう。大山町には1960年代から「梅栗植えてハワイに行こう!」というスローガンがありました。単一品種を大量生産する農業ではなく、少量多品種生産で経済的に潤って、町民みんなでハワイに行こうという取り組みです。当時、大山町は日本の市町村でパスポートを保有している人の比率が最も高いといわれました。都心からかなり離れた地域に住む人びとが、みんな海外旅行をしていた。地域に住む人びとは単に都会からのゲストを受け入れるホストというわけではありません。彼らこそが最も先鋭的なツーリストなのだということを、いまから60年前にやっていたのですね。
 そういった事態が、いまはますます加速しています。たとえば『地球の歩き方 東京』のように、地元の人が地元を歩くとか、GoToトラベルでも超高級リゾートホテルに地元の人が泊まっています。地元の人たちも観光したかった、ということが鮮明になりました。他者の空間だと思われていた場所を自分のものにしていく動きです。社会学者の須藤廣のいう「観光化する社会」がひろがっていて、誰もがみんなツーリストなのだといえます。観光学を学ぶひとつの意義は、現代社会について考えることです。観光を抜きにした社会というものはあり得ないと思います。
 先日教職を取っている学生と面談しました。その学生は「観光学部で教職を取得したことに意味があった」と話していました。狭い意味での観光マインドだけではなく、観光とは何か、地域とは何か、あるいはまなざしとは何か、消費とは、人びとの暮らしとは……。観光学部で得たそういった知見をもとに、地理や歴史や教職についての学びをさらに深めていくことができる、という話はとても示唆的でした。

 

西川 今年の夏のオープンキャンパスで、私は高岡先生と一緒に受験生向けの講義を担当させていただきましたが、社会における観光学部の意義をもっと高校生に伝えていく必要があると感じました。ある高校生は、先生や保護者の方に「いまは観光を学ぶ時期ではないのでは」といわれて受験を諦めかけていたとのことでしたが、オープンキャンパスでの講義を聴いて、そのように考えることはないと気づかされたそうです。
 観光が危機的ないまだからこそ、観光を学ぶ意義があると考えます。そこで培われた視点は、観光学部生としてこれからの観光のあり方を社会に問うことにつながる。だからこそ、一緒に観光について学びませんか、というメッセージを発しました。
 観光学部の存在意義はふたつあると思います。ひとつは観光を通じた新しい視点を社会に提供できること。もうひとつは、これからの観光振興に寄与できる新しい観光人材を育てていくこと。私は後者の立場をより意識しています。観光客として地域を訪れることでそこに居住する住民に迷惑をかける可能性があるということは、通常、観光客にはなかなか想像がおよばない。でも、観光を学ぶと観光が持つ負の側面についても学ぶことができる。こうした学びを通じて、社会における新たな観光のあり方を問うことができるのではないか。そして観光学部生が社会に出てからだけでなく、観光を専門に学ぶ学生の頃から果たせる役割があるのではないか、とも思っています。観光学部で培った知識や体験をとおして、同年代の若者に観光のあり方を伝えることができれば、若者発信でもっと観光の社会的な意義が浸透していくのではないか、と期待しています。

 

―― 観光を通じて社会をみる目を養うというのは、どちらかというと高岡先生が所属する交流文化学科的なマインドで、西川先生の所属する観光学科的なマインドとしては、次世代の観光を構想できる人材を育てたい。まさに観光ど真ん中の教育観ですね。

 

高岡 そのとおりだと思います。私はいつも学生に観光を学ぶ意義はふたつあると話しています。ひとつは観光から社会をみるという視点です。観光を社会の窓として捉える。観光をきっかけにして北欧の福祉制度について学ぶとか、北海道の自然を学ぶとか、その地域や社会についての理解を深めていく。観光の学びをとおして交流のための武器を手にしていくという観点です。ふたつめは、まさに観光ど真ん中で、観光そのものを学ぶ視点です。自分が詳しい分野は観光なんだという、オリジナルなコンテンツとして観光を掘り下げていく必要があると思います。では観光とは何か。他人に迷惑をかけてでもやってしまう、この観光という行為っていったい何なのだろう?それを考えることこそが、観光のど真ん中だと思います。
 私はよく、「文化は別腹」といっています。文化は、一見すると「不要不急」だと思われがちです。たとえばケーキは必要に迫られて食べるわけではありません。歯が悪くなるよ、栄養が偏るよ、食べ過ぎてはいけないよなどといわれる。それでも食べてしまう。これが文化なのだと思っています。観光も同じです。観光が社会から要請されることもあるでしょう。手段として期待されることもあるでしょう。他方、ウイルスを運ぶから来ないでください、といわれても行ってしまう。旅に出てしまう。つまり、手段だけでは把握できない、目的としての観光というものがある。観光のこうしたやっかいな面も含めて深く追究することが、観光学部で観光を学ぶ大きな意味ではないでしょうか。

 

西川 高岡先生のお話しは、観光をとおして社会をみることを強調しているように思えたのですが、一方で観光そのものの目的についての研究の必要性をおっしゃっていて、研究対象的に目的をみている。そのねじれが面白いと思いました。

 

高岡 地域のための観光や、経済のための観光といった、何かのための観光だけではなく、観光そのものを自分なりの言葉でつかまえる必要があると思っていて、学生にもそのように促しています。鼻歌って勝手に湧き起こってくるじゃないですか。合唱コンクールで賞をとるために歌うのも歌だし、コンサートでお金を稼ぐために歌うのも歌だけど、鼻歌のように、歌う衝動としての歌というものもある。人間として、図らずもやってしまうもの。観光のそういう側面を考えることも大切なのではないでしょうか。

 

―― 観光学部に入学してくる学生は、簡単にいってしまうと旅行好きが多いように感じます。観光が好きだから観光について勉強したい。観光学はそういう原始的な欲求が学びとダイレクトに結びついていく学問だと思っています。

 

高岡 観光学部での教育では、学生のそういったプリミティヴな学びの欲求に対して、どう刺激し、どう応援できるか、そこが重要なポイントだと思います。入学してきたばかりの1年生に何を伝えるべきかというと、ひとつは自分の夢や思いを相対化する視点だと思います。客室乗務員になりたいという夢を持っている学生がいるとします。夢や目標は大切ですが、待遇や離職率といった現実を理解する必要もあります。歴史を知ることも大事です。客室乗務員という職業は、「女性らしさ」というジェンダー規範とどのようにかかわってきたのか。「日本らしさ」というナショナリティとどのような関係にあったのか。
 観光も同じですね。地域の活性化にかかわりたいと思うことは大切です。しかし、そこでいう「地域」って何を指しているのか。どうなれば「活性化した」といえるのか。観光は本当に地域を活性化することができるのか。別の問題を生み落としたりはしないのだろうか。そうやってさまざまな視点から考えることに意味があるのではないでしょうか。観光のことを勉強したい、観光産業の道に進みたいという目的意識の高い学生が多いのは観光学部ならではでしょう。そのこと自体は素晴らしいことです。思いや目標を相対化する概念や思考を身につけ、それを客観的な言葉で説明することにこそ、大学の学びの核心があるのではないでしょうか。

 

西川 そういう意味では、目的意識がはっきりしている学生が多いので、教員としても教育のしがいがある。やればやるほど学生からの反応も返ってきます。

 

高岡 観光を学びたいという学生に対して、私たちはもっとシンプルに向き合ってよいと思います。彼らの興味を分節化するというか、言語化し、再構築していくことのお手伝いをしたいですね。

 

―― こんにちのような状況にあっても、観光をネガティヴに捉える必要はなく、むしろ、観光学を学んだり研究したりする人間はポジティヴに捉え返すことが求められている。だからこそ、観光学部の社会的なニーズは生まれるわけだし、観光学科、交流文化学科を問わず観光研究者として明らかにしなければならないことがたくさん存在する。そして、その成果を学生や社会に分かりやすいかたちで還元するという使命もある。おふたりの対談をとおして、ポストコロナ時代の観光学について実に多くのことを考えさせられました。本日はどうもありがとうございました。

 

西川・高岡 ありがとうございました。

 

 

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※ この対談は2020年11月11日に立教大学新座キャンパスにてオンラインで実施されました。

※ この対談は2021年4月に発行される『RT』第1号に掲載予定のものです。発行時には文章表現などが変更になっている場合があります。

 

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